年齢というものは、ただの数字。
そのひとが生きてきた年数である。
社会を成立させるために、
あらゆる制限や自由のために
年齢が使われたり、
精神論に使われたり、
用途は様々だ。
大人という人は大きいひとと書くけれど、
大きい人なんてよくわからない。
20過ぎて大人になれたら
世の中何もかも、政党政治のもとで
うまくいくはずだけど、
どこかの牧師が
「この世に大人なんてひとりもいない」って言ってた様に、
大人なんて一人もいない。
みんな永遠の子供。
でもこどもはコドモなりに色々と考えている。
意識は点滅いるかもしれないが
過去の意識をもとに
言葉を繰り出すのだから
意識は続いている。
なので
一人の人間が
あるときから大人になるなんてことは
幻想だろう。
ただ、変わるだけ。
それがどんな方向に行くのかは誰も知らない。
明滅する意識と言葉の記号の間に
別の方角から新しい何かがやってきて
あるいは呼び寄せられて
光は色を変えていく。
傷つけ、傷つけられて
粉々になった自分を想像して動けなくなっても
死なない限りは死なない。
生きることはキヅツケルということ。
人間を、地球を、空間を、自分を、
母親の体を、心を、言葉を、宝物を、そして自分を。
自分の負った傷
他人に負わせた傷の痛み
それを受け入れてなお
強く生きようとするのが
大人ってものじゃあ
ないのかねえ。
それが、責任。
若さは残酷だ。
「あの頃」は、無防備さや
無邪気な残酷さは
傷つくことや傷つけることを
経験するためと、
それを乗り越える力を
守られながらも
身につけるために
あるのではないか。
若さは、痛々しい。
若さは、煌めいている。鮮烈に。
若さは、折れやすい。
若さは、まっすぐだ。例外を除いて。
若さは、守らなければならないのに。
無理に成長しようとしたら
きっといつか壊れてしまう。
まっすぐに上に行くことしか知らないまま
外に出て行ったら
傷は深くなるばかり。
避けられるものも避けないで
見ないふりもできないで
まっすぐに行こうが
螺旋を描きながら進もうが
みんなのGOALは同じ。
そこで人は平等になる。
同じように罰されているのか、
許されているのかは知らないけれど、
とにかく皆がいつかは死ぬ。
young guys,
人間の生は限られているのさ。
強くしなやかにしたたかに
人生を謳歌した人間が勝つのさ。
君達のpurenessは美しいけれど
美しさに永遠はないのだよ。
その美しさに魅せられて
そこに留まっていては
抵抗できないものに捕まって
そのまま枯れてしまうよ。
実を結ぶこともなく。
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