« ひとつ | トップページ | 移動 »

自分


こうして文章を書き、自分の頭の中の世界を映し出して他人に知らせる行為に
夢を見たあとで、それでも理解してくれる他人は一握りだと思い出し、
意思伝達と表現の難しさに悶えて、一段落書き終えることもままならない自分を
消し去ってしまいたくなる。

言葉を使って表現するということは、私に歓びと絶望をもたらす。
まるで生きることそのものもように。

私は私の世界を持っているが、私の世界が私だけのものであるか、
私だけで構成されているのかは断言できないし、する必要もないと思っている。

ここに生きている自分は血脈と何かしらの真理から派生した人間という個体で、
関係性のなかに存在しているからだ。

しかし、個体であることは絶対的に孤独である。
関係性の中の他人に照らされて、自分の輪郭が浮かび上がるときは、
より一層の孤独を感じる。

私は他人と何かを共有することで救われたことがない。
私が愛するものは私の世界で特定の輝きを放つが、
他人の世界で同じように輝いているかどうか知る由もない。

私たちの眼は同じ世界を見ることができない。だから、私は愛するものを
共有しようとは思わない。愛するものについて語らうことはできても、
分かち合うことが出来ない。

刹那の快楽を置き石にして、延長戦をやり過ごしているだけ。

この快楽にしても、語らいのなかの言葉遊びを楽しんでいるだけ。
言葉による自傷あるいは自慰を繰り返して、喜怒哀楽の仮面をつける。

しかしながらその言葉は私自身であり、失った時間のうえにぽつりぽつりと
置かれていき、私を定義づける。

祝福と呪いを享けている。私は言葉によって生き存え、苦悩する。
言葉は武器で慰めで狂喜で凶器で狂気なのだ。

恥を知りなさい。
公平でありなさい。
慎みなさい。
良き隣人でありなさい。
幸福を与えなさい。
間違い探しをしなさい。

不幸にはならないようにね。

何故生きる。
何故此処にいる。
何故私は私なのか。


逃れようとして還っていく。言葉に。

白紙の前で空になって抵抗してみても逃げられない。

「私」という言葉から。

|

« ひとつ | トップページ | 移動 »

ことば」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/230533/48619429

この記事へのトラックバック一覧です: 自分:

« ひとつ | トップページ | 移動 »